日記・コラム・つぶやき

2009.04.10

満月。

今夜はすごく明るい満月やね。

なんかマサルさんに見られてるような気がする。

だってさっき外に出た時、お月様と目が合ったような気がしたもん。

あ、マサルさんや。って、その瞬間そう思ったよ。

2008.12.13

瑞生からお父さんへ。

マサルさんの入院中、初めて触った三線で、告別式で満月の夕を弾いてあげたい。

なんて素敵なプレゼントを、この子は考えていたんだろ。

うんうん。ねぇさんがなんとかしてやるよ。(司会者に相談しただけ…笑)
私の別れの言葉はミッキーの前座。
私はお父さんに「大好きー!」て叫ぶから、ミッキーもやったれよ!!!って約束して。

デビューライブが数百人の弔問客とご本家中川敬氏、そしてお父さんの前だなんて、やっぱあんたはマサルさんの息子やわ…
ふじちゃん、ミッキーの将来が楽しみでしょうがないよ。
お父さんもお母さんもだけど、私もこれからもずっと見てるからね。

ほんま、雄叫びあげるくらい最高のライブやったよ。
お父さんも踊っとったよ。

これからも、楽しんでいこうな、ミッキー。
今度はミッキーの手作りパスタ、食べさせてな。

2008.12.10

オヤスミナサイ。

12月9日、23時23分。

マサルさんが、息を引き取りました。

この二日間はもう、怒濤の様相で、今の私の体力では書ききれる自信が無いので(笑)後日、また改めて。

最後はやはりマサルさんらしく、会いたい人、会える人全員に会った後、家族全員が揃うのもちゃーーんと待って、しばらく小康状態が続くかな。と、少し油断して(これもどうなんだ…笑)病室の片付けをしていた時でした。

付き添っていたお母さんとじゅんこさんが、息が止まったのに気付き、心停止の時は、皆が見守っている中でした。

ほんと、マサルさん、最後までやってくれる。

あ、息、し忘れちゃった。つい。まー、そんな時もあるやん。って感じだったもん。

そんで、開きっぱなしだった目と口を家族皆で塞いでたら、マサルさんは笑った顔になった。

地の顔が笑顔って、どんだけ笑って暮らして来たらそうなるんだろ(笑)

とても幸せな寝顔でした。

この二日間のマサルさんのあまりのかっこよさに、大拍手が起ったよ。すごい臨終風景(笑)


みんな、ほんとにありがとう。ありがとう。

まさるさんは、ずっとありがとうと言ってたよ。

そして、深夜の退院(ちょっとした引越…笑)まで手伝ってくれた仲間たちの最後の言葉も、ほんと大合唱でありがとうだった。

マサルさんの大好きな言葉、ありがとう。

今、私も出会う人全てに言えるよ。
ありがとう。

マサルさん、今頃は

…あれ?なんか突然動けるんやけど、なんでや?

とか、言っていそうな(笑)


こんな、幸せな、大切な体験を、もう言い尽くせないくらい楽しませてくれてありがとう。マサルさん。そして、ほんとにほんとにお疲れさまでした。

マサルさんはやっぱり私にとって、世界一のエンターテナーだよ。


今日は、もう休むけど、次は書ききれないくらいのありがとうを書くつもりだから、覚悟しといてよね。マサルさん。
ちゃーーんと最後まで、読んでよね。

おやすみ。

2008.11.12

<マサル部屋日誌?>経験。

宗教とかそういうものには全然興味が無いし、偶像崇拝したり、神様を擬人化したりすることには、ずっと違和感を感じてきた。

でも目に見えない大きな力とか、すべてのもの、場所、瞬間に宿る、それこそ古くから神と呼ばれてきたものの存在は、いつの頃からか信じていたように思う。
今はほぼ毎日病院にいても、毎日表情の違う夕日を見るだけで、それを信じられる。

ずっと、したかったことがある。
日記にも何度も書いた、温かい家族の体験。
でもこればっかりは、1人では出来ない。ほんと、残念だけど。

本当の家族は、物心ついた頃にはもうばらばらだった。
実家にみんな暮らしている時から、そのばらばらな空気が、いつもいつも寂しかった。家族で一体になった記憶は、皆無に等しい。
寂しくて反抗してものれんに腕押し、いつしか訴えることも諦めて、そんな現実を受け止めるしかなかった。

誰かがそばに居るのに寂しいよりも、1人でいて寂しい方がいい。
そんな風に家を出たのは25歳の時。今から10年前。
そして家を出てしばらくした頃、月の庭と出会った。

月の力に汐が引き寄せられる様に、私は月の庭に居た。
10年の間には、もちろん引き潮の時もあったけれど、満ち潮の時はもうどっぷり。そんな濃厚な時間は、今でもまるで昨日の事の様に思い出せる。
長くて短い、月の庭での日々。月の庭との日々。

縁とは不思議なものだと思う。
月の庭に導いてくれた当時一緒にいた人は、今では一番遠くの人になってしまった。
同じ時間を月の庭で過ごし、それまで知らなかった沢山の事を知った。
本でしか知らなかった事も、頭の中で想像するしかなかった事も、いい事も、そうでない事も。
初めて、生きている場所で生きている人たちに出会えたような、そんな感動だった。

商売屋の娘だった私には考えられない、目が点になる様な伝説を数々持つ、ぶっとんだ店、月の庭(笑)
たくさんの仲間が出来た。たくさんの経験をした。いっぱい泣いて、いっぱい笑った。
それまでの固まった心と頭が、がつんがつんと打ち砕かれていった。

月の庭で過ごした日々。
マサルさんは、今までの人生で一番、私を褒めてくれた。
あらゆる事を褒め倒せる人だと知るのは数年後(笑)その頃には私は、もう豚が木に登る勢いで、パン屋なんて始めていた。
マサルさんはそのことを、「計画通り」って笑うだろう。ふん。その通り、私は上手い事のせられたんだよ(笑)でも私のお店の開店を、他の誰よりも、自分の事の様に喜んでくれたのを、私は知ってる。

かほりさんは、いつでも親身に話を聞いてくれた。そしていっぱい話してくれた。それは休日でも、深夜でも。
熱く語る事で人と繋がりたかった私は、そんな自分が時々めんどくさい人として扱われる事に、結構傷ついていたりした(笑…豪快だけど繊細なのよ)。
そんなとこがええとこやん。なんて、私のコンプレックスを長所に変えてくれた。
今では、私にしか見せない腹黒さ(小ネタ?)を時々、というかしばしば見せてくれる(笑)これが見れるのは私の特権。なんて、勝手に思ってる。

引き潮の時期は、正直辛かった。
でももう私自身の道を歩み始めていたから、引き返す事なんて、ひとつも考えていなかった。
その時はその時で、考えられる精一杯で月の庭のそばに居た。
辛くて辛くて、亀山から離れる事も何度も考えたけど、それは出来なかった。
私の手の離れたところで、大事な場所だった月の庭が、どんどん変わって行くのを見た。良い時ばかりじゃなかったから、そばに居ながら何も出来ないのが余計に辛かった。
離れないのが不思議なくらいに辛いのに、そこにいることしか出来なかった。まるで月の魔力に取り憑かれているみたいに。

独立して、パン屋になって、月の庭で出来なかった新しい繋がりが出来た。今までの繋がりも、どんどん強くなって行った。大変な分、嬉しい事も楽しいことも、ほんとにたくさんあった。
「月の庭のふじっこ」と呼ばれることを誇りに思っていた私は、そんな風に呼ばれる事に違和感を感じる様になっていった。そしていつの間にかそう呼ぶ人はいなくなっていた。それはごく自然なことで。でもそんな変化が嬉しい反面、どこか寂しかったりもした。

そんな複雑な想いにも慣れて来て、やっと自分の道を見つけられたと思えた直後に、私は倒れた。
訳が解らないまま気付いたら今まで経験した事の無いくらい、閉ざされた場所に居た。あまりに突然過ぎて、真っ暗闇の中でぐるぐる廻っているみたいだった。
実の家族にも頼れない自分が情けなくて悲しかった。悲しくても泣くことも出来なくて、1人でご飯が食べられなくなって、1人で外に出られなくなった。もちろん仕事も。あんなになんでも1人でしてきていたのに。

そんな時間を数ヶ月過ごした頃、マサルさんが外に連れ出してくれる様になった。病院行きの運転手としてだったけど。

しばらく会っていなかったマサルさんは、ひどく痛そうにしていた。
そういえば私が倒れた時、心配して電話してくれた。「病院連れて行こうか」って。自分が病人なのに(笑)
マサルさんは、会っていない間に痩せてしまっていたけど、痛みに堪えながら私の体の痛み(腹痛発作があった)の心配までしてくれていた。
話の内容も話し方も、前よりずっと優しくて、心に響く。
部屋でずっと1人でいた私なのに、すぐに心を開く事が出来た。

そうやって引き潮の時期の空白は、あっと言う間に埋まった。
ぱんぱんに張りつめたさく果がはじけて綿花になるように、一瞬のことだった。それは驚く程簡単で、不思議な感覚でもあった。
何かが動いている。そんな気がした。

その後マサルさんが緊急入院し、まだほとんど病人だった私を連れて、かほりさんが病院に通う様になる。
なんだかかほりさんを更にしんどい状況にさせているのに、なんの躊躇も無く病院について行く私。35歳、大きな子供、ココにも発見。

病院に通い出して、約二ヶ月半。
初めは自分で運転も出来ず寝てばかりだった。今も寝てばかりだけど、運転は出来るようになった(笑)

いろいろマサルさんのお手当や、身の回りのこともするけれど、何にも不自然だと感じる事は無い。
マサルさんは何でも見せてくれるし、話してくれる。
痛みに耐えてるマサルさんに「もっと同情せぇよ!」と言われようが、「同情したって良くなる訳じゃないやん。ならもっと笑える面白い話しよーやー」なんて、ほんと申し訳ないくらいに、言いたい事を言っている。おならだって出来る。(あー、言っちゃったー)

何度も言うけど、私は信心深くも無いし、神様の事もよく知らない。
でも縁という、不思議な奇跡をよく知ってる。

今の私の過ごしている時間は、私がずっと経験したかった、家族との時間。
血の繋がりという目に見える家族にとらわれてしまっていたけど、こんな形もあるんだな。ケタケタ病室で笑いながら、最近そんなことを思っていた。

ずっと私の中にある、重くて固い何かを手放せないでいた。
温かい家族の体験をしたことが無い事が、無条件に愛された記憶の無い事が、まるで自分が大きな欠陥のある人間の様に感じさせていた。
それと同時に、未熟と感じる人に、やたらと厳しくなってしまう、嫌な自分も生み出していた。

ずっとしたかった家族の経験。私の一番欲しかったもの。
私たちがもし大きな何かに導かれているとしたら、必要な経験は必要な時期に、ちゃんと出来る様になっているんだと思う。
そしてそれは、心から願えば、その時は必ずやってくるんだと思う。

こんな風に文章にすると、とても大げさな気もするけど、それはほんのささいな、日常の風景の中にもあるのだろうと思う。
毎日が必要で、あなたも必要で、もちろん私自身も同じ様に必要で。
今日の劇的な夕焼けも、窓から入る新しい風も。すべてが今この場所で必要とされながら、ここにある。

私は今、こんな大事な経験をしていて、きっともうすぐ、ずっと会いたかった私に会える気がしてる。だから苦しい事も楽しい事もなんてことない事も、同じ様に覚えていたい。
そしていつかその時が来たら、いろんなことにすべてのことに、ありがとう。を言おう。

2008.10.23

新しい住人。

今日からのマサル道場は、かほりさんの愛情たっぷりのプランニングをベースに、本格始動です!

さて、それに伴って病室にやって来た新しい206号室の住人をご紹介します。
我が家からやって来た大型ビーズソファ、名付けて「もぐっこ」(ふじっこ私物)

足湯中や、昼間起きて過ごすのが少しでも楽になる様に、今日ふじっこ宅からお引越。
幅60センチ、高さは1メートル以上あるクッションを、誰にもバレずにナースステーションを通り過ぎ、206号室まで運び込みました。うしし。
どうやっても病室でバレるけどね(笑)

で、ひと一人分の存在感の彼(彼女か?)がいなくなった我が家はなんだか寂しくなりました(><)

写真1)もぐっこにもたれてコンニャク湿布をしたマサルさんの名残汗。頭と肩の形くっきり。わかりますか?
写真2)愛情たっぷりプランニングシート。「軽い舞踏」の時間がある…


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Photo

2008.10.11

My bread is a piece of peace

ずっと病室にいて、毎日毎日感動する事があります。

それは、元気な時だったら当たり前に過ぎて行っていた、ほんの些細なことなんだけど。

例えば、秋の風の気持ちよさだったり、綺麗な夕焼けに感動できたり、ご飯を美味しく食べれたり、皆で笑ったりする事。

いろんなことが当たり前になって、慣れて行って、感動や感謝を忘れていた事に気付きます。

いろんな本に書かれてきた、こんな些細な幸せを、改めて実感できる今の時間がとてもとても大切に思えて、忘れない様に、こうして書き留めておこうと思いました。

昨日の事。

マサルさんは、痛みを和らげる薬のお陰で、体力も少しずつ付いて来たようで、ご飯も大分食べられる様になりました。
反面、夢か現実か、解らなくなることもあるようで、時々は、そんな自分に不安になったり、イライラしたりしてしまうようです。

そんな時は食べ物へのこだわりも特に強いようで、冗談まじりに些細な事に文句をつけてみたり、かと思えばおどけてみたり。
昨日の昼食時、そんな風であまり食が進まないので、私の焼いたパンに、黒糖クリームを塗って差し出しました。

そうしたら、やっと黙って食べ出したマサルさん。ぼそっと…
…これ食べてたら、戦争とか起るんかな?…

あははは。なんだそりゃ。
そんなに美味しい?平和のパン?

決闘してても、あ、このパン食べとかんと…てなるんちゃう?
…と、パンを食べながらの小芝居はしばらく続きました。

二人で大笑いしながら、ほんとは私、ちょっと泣きそうに嬉しかった。
久しぶりに思い出した。
みんなでpeace parkという反戦イベントをした時の、私のメッセージ。

My bread is a piece of peace