2009.04.10

満月。

今夜はすごく明るい満月やね。

なんかマサルさんに見られてるような気がする。

だってさっき外に出た時、お月様と目が合ったような気がしたもん。

あ、マサルさんや。って、その瞬間そう思ったよ。

2008.12.28

友人からのメッセージ。

マサルさんのご友人からのメッセージを載せて欲しいとかほりさんから頼まれたので、ここに代筆させて頂きます。

…………

かおり様

南島も木枯らしの吹く季節となりました。
今日は冷たい時雨空の朝です。
少しですが、南の果実を送ります。
近所の農家に収穫手伝いに行き、もらってきたものです。皆様でご賞味下さいませ。

あの別れから二週間、さぞやご多忙な毎日であろうと御推察致します。呉々も無理なさらぬようご自愛下さい。

顧みれば、個人はまこと、太陽の様な人でしたね。回りを暖め、心を緩ませ、彼の回りには常に人々の輪ができていたように思います。
小生も、そのひとりであれたことを幸せに思います。小生は彼に踊る喜びを教え、彼は小生に「魂の踊り」を教えてくれました。
ありがとう。今は心から冥福を祈ります。

御両親様、フジッ子にも宜しくお伝え下さいませ。

では…

屋久島にて  虫丸拝

…………

マサルさんの舞踏の師匠でもある天然肉体詩人 藤條虫丸(ふじえだむしまる)さんからのメッセージです。
どうもありがとうございました。

2008.12.19

名古屋記念病院での動画日記。

前回2008年1月分の続編です。

恋慕の監督でもあり、マサルさんの友人の辻さんの監督編集です。
どうもありがとうございました。

2008.12.13

瑞生からお父さんへ。

マサルさんの入院中、初めて触った三線で、告別式で満月の夕を弾いてあげたい。

なんて素敵なプレゼントを、この子は考えていたんだろ。

うんうん。ねぇさんがなんとかしてやるよ。(司会者に相談しただけ…笑)
私の別れの言葉はミッキーの前座。
私はお父さんに「大好きー!」て叫ぶから、ミッキーもやったれよ!!!って約束して。

デビューライブが数百人の弔問客とご本家中川敬氏、そしてお父さんの前だなんて、やっぱあんたはマサルさんの息子やわ…
ふじちゃん、ミッキーの将来が楽しみでしょうがないよ。
お父さんもお母さんもだけど、私もこれからもずっと見てるからね。

ほんま、雄叫びあげるくらい最高のライブやったよ。
お父さんも踊っとったよ。

これからも、楽しんでいこうな、ミッキー。
今度はミッキーの手作りパスタ、食べさせてな。

笑月夜。

St330025_2


月の庭の庭で満月の夕を聴きながら歌いながら見上げていた月は、もうとても明るくてまん丸で、すべての人たちを照らしていた。

友達がくれたメールに依ると、今年最大の最接近の月なんだそうです。

すごいな、マサルさん、ここまでやるか(笑)


ずっと一緒にいてくれたマサルさんは、もうここにはいません。
くたくたに疲れているはずなのに、なんだか寝つかれなくって……不思議な気分です。

寂しいとか、悲しいとか、今はまだ解りません。
今思い出すのは、いっぱい笑って、ありがとう!と大好き!と言った事と、いっぱいありがとうと言ってもらった事と、ものすごく沢山の人と握手し、ハグしたこと。

笑顔がいっぱいあって、泣き顔もいっぱいあって、こんなに沢山の人がマサルさんのことを大好きなんだと思うと、もう嬉しくってしょうがなくて、私はずっと笑っていた。顔が笑顔で固まる程に。

入院中に初めて教わった三線で、一夜の猛練習で、満月の夕を歌ったミッキー。お父さんと本家中川敬を目の前に、見事な初ライブ、最高だったよ。
あんたは間違いなくマサルの息子だよ(笑)
こんな素晴らしい告別式、見た事ないって、みんな言ってるよ。
ありがとう。ミッキー。よくやった!弟よ!!!!!


私がここまでがんばって来れたのは、それこそがんばったなんて自覚がない程にがんばって来れたのは、マサルさんはもちろん、仲間たちみんなのお陰です。
今はほんとうにそれがよく解る。ありがとうありがとう。

ここ数日でほんとの沢山の友人が、マサルさんに会いに来てくれて、それはもちろんマサルさんが繋げて行ってくれた友人たちで。
最後の入院中に出来た友達もいて、もうみんなのことが大好きで大好きでたまりません。

皆の顔を見る度、泣いたり笑ったりするのが一番忙しい私でした(笑)

マサルさんがいなくなっても、私は大好きって言い続けます。
だってこんなに良い言葉、今までほとんど使った事なかったんだもの。

だから見ててね、マサルさん。
今夜みたいな、笑った月からいつでも。


P1020200_2

2008.12.12

お別れの言葉。

告別式で、お別れの言葉を言わせていただきました。

お別れの言葉。

お別れの言葉なんて、ここ数日で何回言ったか解らへんのに、こんな風にまた言える機会をもらえるなんて、どこまでラッキーなんやろうね、私は。なぁ、マサルさん。

こんな機会をもらって、いろいろマサルさんとの時間を掘り起こしてみたら、昔マサルさんから言われた言葉を思い出したよ。
私がまだ月の庭で働いていた頃、私は時々、勝手に傷ついて、裏切られた気分になって、仕事終わりにようマサルさんに聞いてもらっとった。
私は悔しくてしょうがないのに、マサルさんはあっさりと「そんなん、お前が勝手に信じるでやん」て、言い放ったんや。
信じる事があかん事なんて、そんなん思ったことも無かったで、「なんてクールなんや。男ってこれやから…」なんて、私は追い打ちでがっかりさせられてしまった。

でもな、今はその時のマサルさんの言葉の意味が分かるんやよ。
自分の勝手なイメージで何かを信じ込む事は、それを決めつける事。それ以外を否定する事と同じやってことが。

マサルさんが言っとったのは、ただ、そこにあるままに受け入れればええ。ってことやった。
ええことも悪い事も無い。それはただ人が勝手に決めつけているだけ。
ただそこにあるものを、慈しみ、楽しむ。
たったそれだけで、世界がこんなに明るく美しくなるなんて、やっと今解った。

マサルさん、マサルさんがずっと見て来た美しい世界が、今、私にも見えるよ。
この美しい世界を、もっと、ずっと見ていられる様に、これからも私は、私でいられるように、生きて行きます。

ありがとう、マサルさん、今日も大好きやで。

ふじっこより。

2008.12.11

ありがとうのうた

ありがとうのうたを口ずさんでいたね。その時まで。

大好きなお日様の下
お散歩する時にしていたみたいな
オリジナルなハミングで。

ありがとうのうたを口ずさんでいるよ。その時まで。

きっとその頃には
あなたのまねをしなくても
うたえているよね
私のオリジナルのハミング。

いつだって口ずさめるよ
あなたのハミング。
誰だって口ずさめるよ。
オリジナルのハミング。

ありがとうのうたは
あなたのうた

ありがとうのうたは
やさしいうた

ありがとうのうたは
すべてのうた

ありがとうのうたを今日もくちずさんで
お日様にあいさつしにいこうか。

2008.12.10

昌さんとのお別れの会のお知らせです。

先日、2008年12月9日、23時23分。

岡田 昌 は47歳の人生を終えました。

今まで観た事無いくらい、楽しくて、笑顔に溢れた人生。

最期の最期まで笑って逝ったマサルさんに、皆で会いに行きましょう。

今日12/10は仮通夜です。今日は一日、マサルさんは月の庭にいます。

お通夜 
12/11(木)19時から。
告別式
12/12(金)13時から14時半。

共に場所は 善導寺(浄土宗)亀山市西町327 電話0595-82-2523

オヤスミナサイ。

12月9日、23時23分。

マサルさんが、息を引き取りました。

この二日間はもう、怒濤の様相で、今の私の体力では書ききれる自信が無いので(笑)後日、また改めて。

最後はやはりマサルさんらしく、会いたい人、会える人全員に会った後、家族全員が揃うのもちゃーーんと待って、しばらく小康状態が続くかな。と、少し油断して(これもどうなんだ…笑)病室の片付けをしていた時でした。

付き添っていたお母さんとじゅんこさんが、息が止まったのに気付き、心停止の時は、皆が見守っている中でした。

ほんと、マサルさん、最後までやってくれる。

あ、息、し忘れちゃった。つい。まー、そんな時もあるやん。って感じだったもん。

そんで、開きっぱなしだった目と口を家族皆で塞いでたら、マサルさんは笑った顔になった。

地の顔が笑顔って、どんだけ笑って暮らして来たらそうなるんだろ(笑)

とても幸せな寝顔でした。

この二日間のマサルさんのあまりのかっこよさに、大拍手が起ったよ。すごい臨終風景(笑)


みんな、ほんとにありがとう。ありがとう。

まさるさんは、ずっとありがとうと言ってたよ。

そして、深夜の退院(ちょっとした引越…笑)まで手伝ってくれた仲間たちの最後の言葉も、ほんと大合唱でありがとうだった。

マサルさんの大好きな言葉、ありがとう。

今、私も出会う人全てに言えるよ。
ありがとう。

マサルさん、今頃は

…あれ?なんか突然動けるんやけど、なんでや?

とか、言っていそうな(笑)


こんな、幸せな、大切な体験を、もう言い尽くせないくらい楽しませてくれてありがとう。マサルさん。そして、ほんとにほんとにお疲れさまでした。

マサルさんはやっぱり私にとって、世界一のエンターテナーだよ。


今日は、もう休むけど、次は書ききれないくらいのありがとうを書くつもりだから、覚悟しといてよね。マサルさん。
ちゃーーんと最後まで、読んでよね。

おやすみ。

2008.12.08

幸せな病室。

マサル部屋からの更新は、これで最後になるのかな。

昨日、松坂に帰らなければいけなくなったかほりさんに代わって、付き添い泊まりをする為にイベント用のパンを半日前倒しで焼いた。
病院から夜10時半に家に帰って、午前3時なんて時間に仕込みをして。
今の私がこんなにがんばって予定を作るのには、それなりに、理由があった。

余命宣告をしたことのなかった、主治医の先生からの現実の言葉。
「これからは家族の誰かが、ずっと付き添ってあげてください。」

私は血は繋がってないけど、毎日マサルさんを見て来たから、かほりさんは私にその夜を預けてくれた。
そして幸いにも東京からマサルさんの実の妹のじゅんこさんも駆けつけてくれて、一緒に付き添ってくれた。

そして昨夜の夜はほとんど寝られなかった。じゅんこさんがいてくれたから、思っていたよりは休めたけど。
それよりも、マサルさんはここ二、三日、ちゃんと眠れていない。
意識と、呼吸と、時々時計を止める様に、真っ白になる瞬間がある。
それは、日を追うごとに、今は、刻一刻と、確実に増え続けている。

今日の午前中、言われた言葉。
「もしかしたら今夜、長くても48時間は無いと思っていて。」
かほりさんはそれを、今まで何度も検査の結果を聞いて来た時の様に、いつも通りに受け止めた。
「はい。」
それは、私も同じだった。

数人の友人に連絡を入れた。かほりさんも同じ様にしていたんだと思う。
じゅんこさんは、亀山から嫌がるご両親を呼び寄せてくれた。
ミッキーも、学校を早退してやってきた。

入れ代わり立ち代わり、訪れる仲間たち。
数えてはいないけど、たぶん今日だけで50人くらいは来ていただろうか。
そしてここに来れなくても、祈りを届けてくれる友人たちも多数。

こんなにあったかい病室があるんだろうか。
今、こんな状況でも、笑いがあって、音楽があって、その真ん中に、意識が朦朧とする中で、体いっぱいで喜びを表現しようとするマサルさんがいる。

やっぱりここは月の庭だ。
マサルさんという月に導かれる沢山の人たちが、今のマサルさんにパワーを送る。

すると、時々ふっと意識を戻して、周りに笑いを振りまくんだ。ベッドの上で、もう何も出来ないのに、マサルさんは。

ご飯が食べられなくなって、やせて、歩けなくなって、内蔵も少しずつ動かなくなって、意識もどんどん遠くなって、ここにいる時間がどんどん少なくなっていきます。

でもマサルさんは、まるでふくれた風船の様に、ぱちんと弾けるのを待っているようでもあります。
今、行っていいのか、朦朧とする意識の中でずっと揺れ動いていたけど、もう、いいよ。お疲れさま。すごくすごく、がんばってくれてありがとう。
私たちの為に、生きようとしてくれてありがとう。

マサルさんは、もうすぐ息をするのを忘れます。
それは、昔から決められた順番通りに。

こんな時間が、こんなにあったかいよ。マサルさん。
この部屋で、マサルさんの隣で、話ししながら編み物できなくなるのはさみしいけど、そんで、これからどんなに寂しくなるのか、全然想像できないけど、大好きだよ。
今日、何回も何回も言ったね。
「今日も大好きやよ!マサルさん!」
マサルさんは朦朧としていても、
「おーーーーーー!!」って応えてくれた。
でもその後に、
「俺はかほりが大好きやーーーーー!」って(笑)

そんなのみんなが知ってるよ、マサルさん。

これを読んでくれた皆さんへ。

今夜から明日にかけて、どこかの瞬間で、この世界でのマサルさんとはお別れすることになると思います。
周りで過ごした私たちは、いつだって幸せで、今だって幸せで、きっとこれからだってずっと幸せです。それはきっとマサルさんも。

今も、マサルさんは生きています。
マサルさんは、いつだってマサルさんらしく。
そんな祈りを、どんなに遠くにいても、その場所で、一緒に届けてもらえたらうれしいです。
マサルさんが解き放たれる瞬間に、きっとそれは繋がります。そしてそれはこれからも、私たちがずっと繋いでいくんです。

«命の加速度。